いま

いま 感じていることを書いていきます

トマト

最近、トマトが食べたいなあと思います。少し前までは、八朔が好きで今でも美味しく感じるけれど、食べたくてしょうがないというほどではありません。

 

一昨日、散歩がてらトマト農家に行って買ってきました。いや、トマトを買うついでに散歩したんです。木で熟しているので味が濃厚で美味しいです。新玉ねぎのスライスと一緒にサラダにしたり、ラーメンに入れたり(トマトラーメン)、お味噌汁に入れたり(これ美味しいです)、カレーに入れたりしています。

 

春になって体の欲しがるものも変わってきたのを感じています。体の欲するものはすごーく美味しく感じるし、体の調子もいいです。買ったトマトはもう食べてしまったので、また食べたくなったら行こうと思います。

顔を上げて

自分が下を向いて考えていないか気をつけているのですが、時々やっていることがわかりました。考える人の姿勢です。そう言えば、以前のグループで考える時は上を向いて考えると学びました。

 

下を向いている時の自分を観察すると、停止状態です。自分で自分にストップをかけているような感じです。進ませたくないのか、変化を起こしたくないのか?本当はどうしたらいいのかわかっていてあとは行動するだけだったり、何かを選べばいいだけの時に、「どうしたらいいかな?」なんて考えてる。今までの慣れ親しんだことから、新しい初めてのことをやるのが怖かったり、躊躇したり、面倒に感じたりしているんだと思います。

 

他にも、語りかけをつくっていてパターンの言いたいことはなんだろう?どんな感情だろう?というとき、下を向いている自分に気がついたので親指でクイッと顔を上げました。そうするとパターンの言いたいことが出てくるし、下を向いている時とは違って軽くて明るい感じです。

 

パターンはいろんな形で出てきて「ここにいるよ」と教えてくれます。

顔を上げていこう。

 

 

そっかー、やってみよう!

先日の個人セッションで、自分がいかに素直に学んでいないかがわかりました。

 

例えば開示することが自分にとって大事で必要なことだと学んだら、「そっかー、開示やってみよう」で実際に開示してみる。今の自分にとって一番必要なことで、今までやっていなかったな、じゃあやってみようと、行動に移す。これは、学んだことをただただやってみる、ということをしています。すごく単純なことです。

 

ところが、私の場合は、今の自分にとって開示が一番必要なことだと先生に言われた後、(どうしたらいいかなあ?どうやって開示したらいいのかな?できるかな?・・)と下を向いて考えてしまいます。こうして、せっかく学んだものを、そこで止めてしまいます。学んで、考えて(考えても何も変わりませんパターンだから)、しばらくしてやっと行動に移す。又は、やらずに停滞してしまう。単純なものを自分でわざわざ複雑にしています。

 

そのときのパターンは、学んでいることを難しく、深刻に、重く捉えています。それと、自分を信じていないようにも感じます。そうなると、先生も学んでいることも信じられなくなる(半信半疑状態)と思います。このパターンへの語りかけをしてケアを続けています。

 

素直に、謙虚に、純粋に学ぶ自分で在りたい。

 

そっかー、やってみよう!で学んでいきます。

 

 

感じること

カウンセリングを学びはじめたとき、「今、どんな感じ?」と、先生からよく聞かれました。私は自分が何を感じているのか、どんな感情をいだいているのかわからないから答えられなかったです。「・・・うっ」とつまる感じでした。感性を鈍くさせている年月が長すぎてわからなくなっていたんだけど、わからなくしていたのはパターンを選んでいたからだったんだと、今は分かります。

 

嫌なことがあって(例えば、喧嘩やいざこざなど)パターンが辛い、寂しい、怖い、という感情を生み出したとき、耐えられなくてスルーする。人に嫌われたくなくて、波風立てないように、自分の気持ちを出さずに、人に合わせる。人に好かれたくて、本当は辛くてやりたくないことでも「私は大丈夫」という振りをしたり言ったりする。

 

すべては自分を守るためです。そうやって感じないようにしてなんとかその場をやり過ごすうちに、どんどん感じなくなっていきます。そして自分を守るためだったのに、どんどん自分をがんじがらめにしてエネルギーを消耗していきます。感じることを疎かにすると自分で自分を苦しめてしまいます。

 

感じることって大事です。感情や感覚を感じることができるから、パターンがわかって、自分てそうだったんだと知ることができて、現実の自分を受け入れていくことができます。パターンも感情もかけがえのないものです。スルーしてはいけない(自分に言っています)。

 

素直に感じられる自分で在りたい、そうやって自分を大事にしたい。

何処まで行ったのだろう?

先日、朝の8時すぎ頃の始発電車に座っていたとき、斜め向こうに座席三人分を使って眠っている女性が見えました。足元には白い小さなスーツケースがあります。発車ベルが鳴ったけどまだぐっすり眠っています。折り返し電車だから、きっと乗り過ごしています。

 

二駅目で降りる時に、女性(20代だと思う)のところに行って、腕のあたりをトントンしたり、ゆすってみても、「だいじょうぶ?」と言っても起きない。横に座っていた男性も一緒になってゆすって「だいじょうぶですか?」と言っても、「ん~」と言って寝入ってしまいます。

 

私は遅れてしまうので、そのまま降りてしまったけど、あの女性何処まで行ったのだろう?目は覚めたかな?気になります。

 

だけど、あんなにぐっすり眠れるなんていいなあと思いました。

 

 

とにかく、練習と開示あるのみ

パターンは、自分のパターンを開示すること = できていない自分になってしまう、と頑なに思い込んでいます。本当の自分は開示できる自分で在りたいのに、パターンは真逆を信じてそれを守ろうとしています。

 

その思い込みで長い間(何代にもわたってかも?)、できる人やいい人になるために、パターンを表出しないようにしないように用心していたら、それが当たり前になってしまいます。それにも気がつかないまま人生が終わってしまうかも?私はそれは選ばないです。

 

私は、自分を受け入れて、どんなパターンも自分の中にあることを認めて、ジャッジしないで、ただ在るものとして見て、話せるようになりたいと思います。

 

とにかく、練習と開示あるのみ。

開示

グループで開示できなかった・・・。

 

以前と比べたら発言はできるようになってきているのですが、大事な開示ができませんでした。誰かに言われた言葉に、自分のパターンが引っ掛かったら、その時に「今○○さんの言葉に、私のパターンが引っ掛かりました。しかし、それは○○さんののせいではありません・・・・・」と言うことができませんでした。

 

どうしてかというと、「開示するのが怖い」というパターンがあるからです。パターンは、できていない自分を認めたくないし、パターンをさらしたら皆に何年も学んでいるのに大したことないとバカにされたしまうから、自分を守るためには開示しない方がいいと言います。だから、感じないフリをするし、本音を出さないし、言ったら恥だし、怖いと思っています。

 

そのパターンは、何かを言われた一瞬(ほんの0,001秒)引っかかっているのに、それを覆い隠すように何も感じないように働いたりもします。それは後から感じるからわかります。

 

今回のグループで開示しているみんなを見ていると、素直に自分を表現していて活き活きとしているのを感じます。心を開いて自分とも人とも向き合っているのも感じます。そんなみんなと自分を比べて、自分情けないなあと感じました。開示しようと決めていたのにしなかった自分を感じて、そのパターンに語りかけをしています。

 

自分はこれからどうしていきたいか?と考えると、開示できる自分になりたいと思います。心を開いて自分を表現したいから。日々練習しています。