いま

いま 感じていることを書いていきます

「もう、そこに居続けるのをやめる」

何かをやろうとする時に出てきて動き出すのを止めようとする「私はこのままでいい」というパターンがあります。

 

パターンは、何とか生活できているのに、新しいことにチャレンジして、失敗して傷ついたり、できない自分をさらして恥をかくより、何もしないでいた方が自分を守れて安全だと思っています。自分を無力だと思っているし、変化を怖がり、面倒だとも思っています。

 

実際私はそういう環境で育ち、大人になってからも自分でそのパターンを大きくして、それを信じてきたんだなと分かります。それを信じていると、自分は止まったまま動かないでいます。そして、自分のやりたいことをやっている人を見ると、自由に生きられていいよなぁと羨んだり、でも自分には無理なんだと思ったり、妬んだり、おもしろくない気持ちになります。あの人が自由に生きられるんなら自分も自由に生きられるんだという発想は湧いてきません。

 

そんなパターンに、語りかけをして、白黒ワークをすると、黒パターンの部屋に入った時に悲しみを感じます。白パターンの部屋に入ると胸の奥が開いていくのを感じます。

 

白パターンは「もう、そこに居続けるのをやめる」です。私が選びたいものを選んでいいし、やりたいことをやっていこうと思います。

 

今日は、初めての「心のカラクリ」講座です。以前からやりたいと思っていたんです。いらした方に楽しんで聞いていただけるよう、今の自分で精一杯やってきます。

この違いは?

私は人の評価を気にして、自分を抑えて言いたいことも言わず、やりたいこともやめてしまうことがあります。これって、「人の評価で自分の価値が決まる」というパターンです。そこまで人の評価を重視していたのかと思いますがパターンはそうなんです。

 

個人セッションの時に先生は「人の評価なんてどうでもいい」と言いました。これは後から気がついたことなんですが、そのときにパターンが考えているんです。今までの自分の経験と照らし合わせて、でもな―そうは言うけど~って。パターンが考えたって先生の言ったことがわかるはずはないんです。だってまだそれを体験していないのですから。パターンが思考したことで半分も学べなくなってしまいます。

 

勉強会の時に、M子さんが話してくれたのですが、「私は何も考えずにやるだけ。そうなんだ、やろう!でやっている」ということでした。

 

M子さんは、何も考えずにやる。私はパターンが考えていた。この違いが、素直に学ぶのと、素直に学べないということなんだと思います。パターンに思考させている自分に気がついたら、黙りなさいと言っていきます。M子さんありがとうございました。

 

シントラ声明の「それは、やってみてから言ってもらおう」を思い出しました。

掃除機

先日、掃除機が壊れてしまいました。スイッチを入れると、ピーピー鳴るし、フィルターを変えてもピーピー音だけです。買い替えることになって、ネット注文(これが主人は大好き)をして届いたのですが、傷がついていたので使わず返品することにしました。届いた品は、これじゃ掃除をするのが億劫になると思うくらい重かったので返品してよかったです。ちゃんとお店で見て買った方がいいねということになりました。

 

もう何日掃除してない?と思うんだけど、掃除機がないからしょうがないよねと掃除をしない言い訳ができたと喜んでしまいました。さすがに三日後には雑巾がけをしました。これは運動になります。

 

掃除ってゴミを捨てて家の中からなくしたつもりだけど、この世界から無くなったわけではない。ゴミ焼却炉で燃やされて、煙と灰に姿形を変えて残っている。完全になくなるものって無いのか?自分のパイプの中と同じなんだ、なんて考えながら床を拭いていました。

 

その後、チョー軽い掃除機が来て快適です。

 

 

人のせいにしない

語りかけをしていて、あー、今の自分の辛さを人のせいにしているんだと思いました。それを自覚するのとしないのとでは、語りかけがまったく違ったものになってしまいます。

 

人のせいにしていることを自覚しない語りかけは、相手に焦点を合わせ、自分の怒りや悔しさや寂しさはすべて人のせいで自分は犠牲になっているというパターンがしています。だから語りかけをしてもどこかすっきりしません。パターンがパターンを誘導している語りかけです。

 

人のせいにしていることを自覚した語りかけは、相手ではなくて、苦しんでいるパターンに向き合って話を聞き気持ちを汲んで、そうなんだね・・と受けいれて、「私」があなたの面倒を見て一緒に生きていくから大丈夫と安心させて、パターンを尊重しています。「私」がパターンをリードしている語りかけです。

 

人のせいにしないで生きていこう、と思いました。

 

「感情は、誰かが自分に何かを言ったから、何かをされたから生まれるものなのではなくて自分のパターンによるものです」『心のカラクリ』より

 

 

勉強会

昨日は茅ケ崎グループの勉強会でした。誰かの言った言葉に引っかかったらちゃんと開示しようと、練習して勉強会に参加しました。

 

引っかかった言葉があったときに「今、○○さんの言葉に私の○○○というパターンが引っ掛かりました・・・・・」と開示したり、誰かの話から自分の思わぬパターンに気がついたらそれを話したり、気になることは聞いてみたりしました。

 

勉強会が終わって思ったのは、ちゃんと開示して言いたいことや思ったことを表現した後は、モヤモヤが残らないですっきりしています。

 

あるのは自分の課題だけです。自分のこれからやることが鮮明になります。だから、引っかかったり気がついたパターンに集中して向き合うことができます。そして、そこはもういい!卒業しよう!って思います。動きがあるというか、躍動感がある感じです。

 

今頃?って言われると思いますが、開示っていいもんだなあと思いました。

みなさん、ありがとうございました。

 

この学び

「この学びに価値はないからね」という言葉に、あれ?と私のパターンが引っ掛かりました。

 

それで「この学びには価値がある」というパターンがあることに気がつきました。なぜならば、魂の学びは崇高だし、みんなが知らないことを知って優越感を感じられるし、価値あるものを学んでいる自分にも価値を感じられるし、生きる支えになるからだとパターンは思っています。グラグラして不安定だし、不安だし、自分以外の何かにすがって自分を支えようとしています。

 

このパターンで学んでも道を逸れてしまいます。魂の学びは崇高なんだろうか?ただ魂の学びであって学ぶことが崇高なわけでも学んだ自分が崇高なわけでもないです。人の知らないことを知っているって、ただそれだけのことで、そこに優劣はないです。パターンは、パターンが決めた価値あるものを得て自分を支えていこうとし、何かがないと自分はやっていけないと決めてつけています。

 

私は好きで、なんか面白くて、知りたくて学んでいます。もう、そのパターンは選びたくないし、パターンの言っている価値は私には必要ありません。私は素直に学べる自分で在りたいです。今日もパターンをケアして選び変えていきます。

 

心のカラクリ講座

「心のカラクリ」講座を開催いたします。

心ってどうなっているんだろう?

いろいろな感情を感じるのはどうして?どこから生まれてくるの?

などと疑問を感じている方も、そういうことを考えたことがない方も、どなたでも興味がわいてきた方をお待ちしています。どうぞお気軽にご参加ください。

 

 

心の講座

 

ありのままの自分で安心するために

 

                      ❀4月27日(土)    13時~14時30分

                      ❀春花堂古書店内 千葉県市川市市川1-21-7-103

                                                            (JR市川5分、京成市川真間2分)

                            ❀参  加  費            無料

                      ❀定        員            3名

                      ❀申込(メール)         tulipano@w2.dion.ne.jp(赤木 洋子)