いま

いま 感じていることを書いていきます

自分の人生を生きる自分で在りたい

コンプレックス(劣等感)は自分をだめだと決めつけています。そのパターンは、そんなコンプレックスを持った自分を嫌います。自分と他人を比較したり、自分のできないところを探しだしては、自分で自分を責めるようになります。

 

コンプレックスって他人との比較から生まれるんだと思う。比較するのが子供の頃から当たり前のことになっていました。比較し優劣をつけるのもパターンです。自分ではなく他を見ているって、自分は二の次にしていることです。これってとても寂しい気がする、だってそんなことをするために生まれてきたんじゃないから。

 

自分の人生を生きる自分で在りたい、そう思います。

 

 

大根

咳が続いて痰が絡むことが続いたので、以前食養を学んでいた時に呼吸器の具合が悪い時にはレンコンがいいと聞いていたので、効くかなと思い試してみたけれど、美味しく感じないし症状も変わりませんでした。

 

それで何かないかと薬膳の本を読んだら、大根がいいと書いてあったので試してみました。大根ならいつもあるので便利です。それで大根おろしと、大根の輪切り(スライサーで)を食べたら、とてもおいしく感じました。とくに大根の輪切りは毎食飽きずにたくさん食べました。そのころは食欲も落ちていたので大根に助けられました。そのうちに咳もおさまってきました。

 

その頃は、薬も飲んでいたし、針も打っていたので、大根だけが効いたわけではないと思います。きっとそれぞれの薬効があったのだと思います。お医者さんや鍼灸師さんの手を借りながら、自分の体を整え美味しく感じられる食べ物で治せたんだと思います。

 

そうやって、必要なら人に助けてもらい、自分でも探したり試したりしながらやっていけばいいんだということが分かりました。自分の感覚を信じてまわりのものも柔軟に取り入れていこうと思います。これはもう生き方を学んだ気がします。

 

 

自分の問題

○○さんを嫌いだと思うパターン。どうしてパターンが○○さんを嫌いなのかと言うと、○○さんは自分の嫌だと思うことをしたり、自分が傷つくようなことを言うから。傷つくのは本当は隠しておきたい事だったり、自分が口にしないでいた本音だったり、他人には触れてほしくないコンプレックスだったりします。

 

もし、同じ人が自分(パターン)の望むように認めてくれたり、大事にしてくれたり、やさしかったりしたら、自分(パターン)は○○さんが好きになるし気分もいいと思います。

 

だから誰かを嫌ったり好きになったりするのは、「私」ではなくて、パターンだし、相手の言動を見た自分の決めつけによるもので決まるんだとつくづく思います。そして、自分の思い通りでない人は嫌いな人になるんです。それだけ自分は他人に左右されて生きてきたんだということです。

 

そう考えると、誰かを嫌いな気持ちが醒めて、あれ?という疑問が湧いてきます。誰かを嫌いになるのは自分の問題で他人のせいじゃなかったことが腑に落ちはじめます。

「私」がパターンにそのままでいいからねと語りかけケアをして、選び変えたものを行動に移していけばいいんだなって思う。

 

 

 

 

                                   



 

「大丈夫?」

ここ2週間ほど日に何回か咳き込むことがありました。私が咳をしていると、Tさんが「大丈夫?」と声をかけてくれました。それを聞いて、よかったなあと思いました。

 

よかったというのは、私のパターンがその言葉を欲しがっているわけでも、言われて喜んでいるわけでもないんです。ずーっと前は「だいじょうぶ?」という言葉を欲しがっていた時もありましたが、ある時からあまり気にならなくなりました。言っても言わなくてもどっちでもいいよという感じです。欲しがらなくなったんです。

 

Tさんは私の体の具合が悪いと間髪入れずに、ああしたほうがいい、こうした方がいいと言ったり、不機嫌(に見えたけど心配で不安だったんだと思う)になったりしていました。テレビで病気の人特に子供が出ると見ていられないし、医療番組もドラマも「僕は見ない」と言います。病に関することが苦手だし怖いんだと思います。

 

そんな人が、「大丈夫?」と言うようになったんです。自分の言いたい事だけを言っていた人が、一言目に「大丈夫?」ってすごい変化です。具合の悪い人のことを理解できるようになったのか?自分の心配な気持ちを素直に言葉にできるようになったのか?分かりませんが、Tさんよかったねって思います。

 

 

昨日の続き

夏バテと老化で、心の整理ができないと思っていたけれど、出てきているパターンへの語りかけなど、今の自分に必要なことをしていけばいいだけでした。

 

それなのに、わからなくなるのは、体調もあるけれど、パターンをどうにかしようとしたり、このパターンも、あっちのパターンもと複雑に考えすぎて混乱しているときです。パターンが分かったら、どうしたらいいのかはわかっているんだからやっていけばいいだけです。

 

パターンが安心できるような語りかけをしつつ、「もしかしたら・・・」を言い続けて、白黒ワークに進んでいきます。

 

シンプルに、素直にワークしていきます。

 

 

続きはまた

「誰かを自分の思い通りにしたい」ということは、自分以外の誰かが自分のために、自分の思い通りになってくれて、自分の思い通りの現実を作り上げてくれることを望んでいることです。

 

それは、自分は何もせずに人に期待して、人を使っている状態です。これは、ずるい生き方だって思います。自分は一人では何もできないし、生きていけないと信じているからなんだと自分(パターン)を観ていて感じます。積極的でもないし、自発的でもないし、自立していません。

 

と、ここまで書きましたが、わからなくなったので、続きはまたいつか書きます。

卒業に向けてやっていきます

「誰かを自分の思い通りにしたい」というパターンは、自分の方が上だと思っているし、自分の思い通りにできると思っています。自分には力があって相手を意のままにできるはずだという上から見下ろしているような態度です。実際はそこまで思っていないよと思うけれど、そんなふうに他人を扱っているということです。

 

そのパターンは、いつも相手と自分を比較してはどちらが上か?と優劣をつけずにはいられません。勝ち負けの世界にいるから。

自分が上だと思えれば(自分に好意を持っている、仕事ができる、話がおもしろい、自信がある、学歴がある、性格がいい、人気がある、魂の学びをしている、お金がある、高価なものを持っている、など何でも理由にします)安心したり相手を軽く見たりします。

だけど、自分が下(負けた)だと思うと、相手の顔色を見たり、合わせようとしたり、言いたいことも言えません。

 

そんなパターンを見ていると、いつも自分と他人を比べて一喜一憂している、自分の足で立つこともできないような弱い存在です。そう本当はものすごーく弱いんです。自分(パターン)は弱いんです。

 

そういうパターンをずっと働かせてきたんだと思うと、もうここは卒業しなきゃダメでしょ、いい加減に。卒業に向けてやっていきます。