いま

いま 感じていることを書いていきます

「私」はパターンの母

「他人にこうあって欲しいというのは、お母さんを求めているから」と先生から聞きました。子供の頃の母親の存在が、大人になっても(何歳になっても)影響するということです。

 

子供の頃の自分を思い出しながら、子供は母親に、いつも一緒にいて、自分を受け入れ、自分を見守り、自分の思うように安心させてほしい、いくつになってもそうであって欲しい・・・などと求めてしまうんだなあと思います。子供にとっての理想の母なるものを求めているんです。

 

私が5歳くらいの時、夕方母と近所の八百屋さんに買い物に行ったときのことです。母についていくのがやっとの私は、母とはぐれてしまわないように割烹着の裾をつかんで歩いていました。しばらくして母を見上げると、知らない女の人でした。ぎょっとした私は割烹着から手を放し、近くにいた母を見つけてほっとしました。あの頃は白い割烹着を着ている人が多かったんです。間違われた女性は、(誰、この子?)というような怪訝そうな顔をしていました。怖さときまり悪さのようなものを感じたのを覚えています。

 

小学生になった私は、夜に母が息をしているかどうか心配になって、自分の指を母の鼻に近づけて息をしているかどうかを確認していました。父が亡くなって母までいなくなったらどうしようという不安からだったと思います。

 

私の母はもうだいぶ前に亡くなっていますが、いろんなパターンの思いを聞いていくと、パターンは母と同じような存在を他人に求めようとしているのを感じます。

 

「私」がパターンの母であり、父でもある、それを忘れないで働いていこうと思います。「私」が、パターンといつも一緒にいて、パターンの話を聞いて、パターンを受け入れて、パターンを見守って、パターンにそのまま変わらなくていいからねと安心させてあげたいと思います。

 

「私」はパターンの母。